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muji . 2005.10 .
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イラストレーション:火取ユーゴ
  山下洋輔の"文字化け日記"
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  早月朝日。新宿ピットイン。米田裕也(as)、柳原旭(b)、小笠原拓海(ds)の「ニュー・カルテット」で演奏。そのままテレビ取材。終了後蕎麦屋でだらだらしていると一番電車の時間になった。新宿駅南口でタクシーを降りる。業務車から荷物を下ろしているお兄ちゃんが「おっ」という顔をする。早朝に動き回る同じ稼業なんよね。こんなとこにいやがったと驚かれる例は、駅ビルの焼鳥屋、CD売り場、深夜の飲み屋チェーンなどで、生徒関係がよくアルバイトでいるからだ。その時に話しかけてくる者もいるが、黙っていてあとで友達に話してそれが伝わってくることもある。スーパーでしょっちゅう見かけるなどもある。まさか、パジャマ姿のまま片手に酒瓶持ってよろよろしながら、通りかかる女子高生をからかっているところなど見られていないだろうな。そういうことがいやなら、ブラインドのかかった運転手つきのバンで移動し、居ても驚かれない場所で飲食することになるんだろうけど、それはちょっとねえ。乗った下り一番電車には、ギターをかかえたバンドマン、きんきら姉ちゃん、飲み明かして彼氏はつかまえられなかったけどまあいいかの娘、コロつきのバッグを持つが旅行者とは見えぬ男たち。これから高尾山に駆け登ろうという服装の人達などが散見される。幸い完全な禁治産者はいないようなので、安心して座席に座って運ばれた。

タモ月リ日。「笑っていいとも」で中島啓江さんとタモリが電話をかけて来る時間に名古屋駅の待合室にいる。やがて携帯がつながって、明日来られるかと言うので「いいとも!」と叫ぶ。携帯に向かって叫んでいる男は方々にいるから誰も関心を示さない。翌日の本番で、100分の1アンケートを「ジャズマンに飛び蹴りをしたことのある人」にしたが、これはゼロ人。タモリがフォローして「殴ったことのある人」にしたら3人いた。本当かなあ。

名電月工日。愛工大名電高の吹奏楽団と万博の催しのためのリハーサル。「Grooving March」という曲を書いてすでに演奏してもらっているが、それにピアノで参加するというバージョンだ。途中各パートから代表者が一人づつ出てピアノとフリー・ミュージックをやるという設定にしてある。困らせて申し訳ないが、本番までには必ず出来ます。野球部が甲子園出場を決めているので、これからは甲子園に行きっぱなしで大変だと思っていたら、一回戦でまさかの敗退。気の毒だが、これで吹奏楽の練習はばっちり出来る。

帝月国日。大阪帝国ホテルの全館を使ってのジャズ・フェス。津上研太(as)、堀越彰(ds)の上海公演トリオでやる。マルタ(as)が一曲だけゲストで参加。「ソニー・ムーン・フォー・トゥー」のテーマをぶっ早くやってフリー・ジャズのセッションにした。大変面白かった。控室では秋満義孝(p)さんにご挨拶ができた。中学生の頃、毎朝、秋満さんのスイング・ピアノをラジオで聴いてから学校に出かけた記憶がある。「最初に真似をしたいと思ったのは、テディ・ウィルソン」とよくインタビューには答えるが、その名前は秋満さんを通じて知ったのだ。秋満さんの参加する「スイング・オールスターズ」の演奏を聴く。記憶通りのきれいなタッチと華麗なフレーズに感激。アンコールでは奥田英人とブルースカイ・オーケストラにフランク・ウェスを含む出演者のほとんどが共演。大塚善章さん(p)ともどもステージに上がっていた秋満さんはほとんど弾かずにいる。こちらは促されて「テキーラ」のソロで暴れる。指揮の奥田さん喜ぶ。後ろから秋満さんが見ている。

西月郷日。家に伝わる西郷隆盛の手紙を鹿児島の歴史博物館「黎明館」に寄贈することになり、持ち主の兄と一緒に入鹿する。面白がった親戚が十人程ついてきた。この機会にレンタカーで里帰りツアーをすると張り切っている。約束の時間に黎明館に行き館長室で館長の牛之濱道久氏が知事の感謝状を代読してくれる。記念品の壺も受け取る。テレビ四社、新聞多数。西郷さんとなると鹿児島は熱い。その後、祖父が設計した旧鹿児島監獄の門を見学、祖母方の親戚がいる薩摩川内での墓参り、顔合わせの昼食会、などがあり、一度ホテルに帰る。夕方のニュースでテレビに映る自分の姿を4回見る。夕食後は前記の監獄の建物保存運動で20年前に知り会った鹿児島大のジャズ研の連中とジャムセッション。会場になったライブハウスの「コロネット」ではマスターの川添晃氏をはじめ、中山信一郎氏など鹿児島ジャズ界の名物の方々が大集合。ドラムの森田孝一郎君の軽妙な司会でステージは盛り上がりっぱなし。親戚関係の野津家の末裔、野津親俊さんも来てくれて、一緒にブルースをやり、ギターの語り弾きでオリジナル・ソングを聞かせてくれる。昔こちらのトリオに三上寛が飛び入りしたりした頃のジャズもフォークもロックも一緒に盛りあがった時代が一瞬目の前に現れた。



「CDジャーナル」2005年10月号掲載
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