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muji . 2005.08 .
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イラストレーション:火取ユーゴ
  山下洋輔の"文字化け日記"
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  〆切月過日。このひと月間何も書くことができず、デッドライン数時間前にこうしてじたばたしているのには訳がある。確かにいつものように方々に出没したのでそれを書けばいいとは思うが、たとえば、客員教授になっている名古屋芸術大学でジャズについての講義をやり、翌日、大阪芸術大学で講演をやり、週にヒトコマ教えている国立音大に通い、新しい本制作のために相倉久人さんとトーク・セッションをやり、定期健康診断に行き、浜松でレクチャー・コンサートをやって、打ち上げではドクター・ジャズの内田修先生にウナギをご馳走になり、そのまま奈良の香芝でソロをやり、イイノホールに取って返して、神津善行さんプロデュースの三笠宮チャリティ・コンサートに、日野皓正(tp)、辛島文雄(pf)と出演し、ピットインでは菊地成孔(ts)とデュオをやり、針治療に行き、車で桐生に行って日野皓正、川嶋哲郎(ts)とアコースティック・コンサートをやり、翌日は志木で水谷浩章(b)、外山明(ds) 、川嶋哲郎とコンサートをやり、帰ってすぐ歯科医に行き、それから逗子にできた新しいホールに出かけて八向山(向井滋春(tb)、八尋知洋(perc)) で演奏し、翌日富士市に行って、また日野皓正、川嶋哲郎と顔を合わせ、その日の深夜に帰宅するというようなことをしていて、その間、行くところ全てで素晴らしい人々に出会い、素晴らしい時間を持っているのだが、そのほとんどを上の空で過ごしていたのだ。

 頭に大きくのしかかっていたのは、N響との共演であります。去年の11月に指揮の佐渡裕さんが紹介してくれて、イタリアのトリノにあるRAI放送交響楽団と第一ピアノ・コンチェルト「エンカウンター」を演奏することができたが、今年の「東京の夏」音楽祭の一環で、また佐渡さんが推薦してくれて実現した。東京オペラシティで、第一部山下作品。第二部ホルスト「惑星」。

 茂木大輔(ob)氏をはじめ、何人かのN響メンバーとは色々なプロジェクトで一緒になる顔なじみ、音なじみだが、それだからこそ、自作を持ち込んで下手な真似はできないというプレッシャーは大きかった。

 一カ月前から禁酒し、それへの生理的反応で、マンジュウやアイスクリームをむさぼり食いながら、毎日この曲のことばかりを考えて過ごすということになる。リハーサルは本番前二日間、あとは当日のゲネプロと本番だ。N響の練習場は忠臣蔵の人々が眠る泉岳寺の隣にある。くれぐれもタタリが無いようにと願って目礼して通り過ぎ、練習場に出頭する。ピアノのある控室に通される。オケはすでに「惑星」の練習をしている。第四楽章で和太鼓を叩いてもらう植村昌弘氏はいつものように早く来てオケの練習を見学研究している。やがて昼休みとなり、機を見て佐渡マエストロと打ち合わせをし、練習場へと入る。さして広くない場所にぎっしりと居並んでいる面々は、才能と努力によってクラシック音楽を志す人々の頂点に立った人ばかり。しかも、ほとんどはテレビでその顔を見ている。あ、あの人もいたってんで、これはちょっと恐ろしいですよ。

 茂木氏は、今回は沖縄で指揮の仕事をしていて参加していないが、ご一派の面々や「ネコカル」メンバーの顔を見つけて、励みにした。コンマスが、数年前に「ラプソディ・イン・ブルー」を弾いた時と同じ堀正文氏だったのはありがたかった。

本番日。N響のゲネプロは早い時間にやる。本番までに耳を休ませるなど色々な意味があるらしい。ゲネプロの後、ステージから片づけられたピアノをピアノ庫まで弾きに行く。このピアノは、2000年正月のリサイタルで同じ曲を東フィルで初演してもらった時に、三台の中から選んだ。台帳を見るとこれが一番弾かれているようだ。関係者によればこのピアノに一番多く触っているのは山下ではないかとのこと。毎年決まって弾く人は少ないし、リサイタル前には何日か倉庫にもぐり込んで弾かせてもらっているから、そういう計算になるらしい。この楽器、爛熟の極に達したのか、今日を最後にオーバーホールに出すとのこと。あいつが叩くまで待って修理に出そうという意図がみえみえではないでしょうか。
 空いた午後一杯の時間をオペラシティの控室で過ごす。持ち込んだ枕と毛布にくるまって眠る。「就寝中。ご面会、ご遠慮ください」という紙を楽屋の扉にG君が貼ってくれる。5時半に目を覚まし、出番の7時を待つ。演奏服に着替えて、モニターテレビを見ると燕尾服で決めたオケ・メンバーが舞台に勢揃いしはじめている。舞台袖に行って佐渡マエストロ、植村氏と気合いを入れ直す。やがて会場が静まり返り、のっぴきならない場所へと足を踏み出した。以下、アンコールのソロピアノまで約一時間の忘我の時間を過ごす。その後、禁酒を解禁したような覚えがあり、気がつくと締め切り日が過ぎていた。それで慌てて冒頭に戻って書き始めた次第であります。


「CDジャーナル」2005年8月号掲載
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