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muji . 2005.06 .
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イラストレーション:火取ユーゴ
  山下洋輔の"文字化け日記"
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  四月馬鹿日。妹からのメールで今日午後のテレビ生番組で母親がインタビューを受けることになったとある。母親は高齢でそういうことができる状態ではない。慌てて電話をして「誰が決めたんだ。すぐにやめさせろ」とわめくと「今日の日付を思い出しなさい」と言う。いい年をしてエイプリル・フールをやっていやがった。この妹は、姉や従姉妹にも「ひいきの宝塚スターが結婚すると今テレビで言っている」などとメールして、それが関係者の間で飛び交い、中には泣き出す人もいたという。とんでもない奴だ。次の親戚の集まりでどのようなオシオキがあるのか楽しみだ。

上月海日。機内での「和食はカキアゲ丼、洋食はヤキビーフンでございます」という不可解なアナウンスと共に上海へ運ばれる。空港出口で「タケシ!」と間違った名前で呼びかけてくる奴がいたが、これタクシーのこと。今は一掃されたが、昔はNYでもあったアブナイ部類だ。こちらの迎えの乗用車は走りだすなりタクシーとF1レースを始める。相手が横10センチの間隔で寄せてくるとこちらは5センチの間隔で前に出る。タクシーはなおも1センチまで寄せてくるが、結局あきらめて後ろにさがる。するとこちらはわざと前に回り込んでさんざん嫌がらせをする。混雑道路を時速100キロで走りながらの出来事だ。未来的な高層ビルの立ち並ぶ一画に入ってもそういうことが続き、ヒエーと言って3回死んだところでようやくホテルに着いた。
 コーディネイトしてくれた中国人のディクソン氏は大友良英(g, turntable)の親友だ。早速食事に連れていってくれる。観光客は来ない店で、出てきたものはすべて初めて見るものばかりだが、非常に美味だった。チンタオビールを飲む。そのあと和平飯店(ピースホテル)のバーに行って名物の歴史バンドを見学した。左からベース、ピアノがフロアーにあり、ステージにはトランペット、ドラム、テナーサックス、アルトサックスの順で横一列に並ぶ。ドラムが中央に位置して目立つ。老年組と若年組が交互に出たが、演奏形態はアレンジされた前スイング期という感じで、やり方は全く同じものを踏襲していた。これが戦前からのこのバンドの特色だったのだろう。特にドラムの奏法が特徴的で、リズムのドライブにライド・シンバルはほとんど使わない。スネアーでやり、シンバル類はアレンジされた個所でのアクセントに使う。連続してシンバルを鳴らす場面はどこか京劇風と思ってしまうのは、こちらの先入観か。天井の高い広い部屋はアンティックの権化で客は東7洋3の割合で満員だった。バーボンソーダを飲んだ。

上月海日2。休日なのでディクソン氏が観光地の豫園に連れて行ってくれる。有名な飲茶の店があって、あらゆる種類のショーロンポーを次々に食べた。前菜の肉の薄切りや漬け物も非常に美味で、お茶を飲みながらいくらでも食べられる。同行者は、津上研太(as)と堀越彰(ds)だが、堀越は知り合いのところに出かけてしまい、ここにはいない。世界中どこにでも友人がいて、すぐに単独行動をとるのはすべてのドラマーの特色だ。研太も食事の後、楽器屋に行くといって雑踏の中を一人で歩き去った。皆元気だなあ。

上月海日3。本番は新天地というモールに隣接する池のある公園のテント会場。世界中どこにでもあるジャズフェスの風景だ。会場は東10洋0でほぼ満杯。あえて初期のベースレス・トリオの編成でやったステージは、「ジョンズ・ジャンプ」ではじまり「キアズマ」「エコー・オブ・グレイ」「寿限無』「フェイズ・アフター・フェイズ」「スパイダー」「エブリシング・ハプンズ・トウ・ミー」「クルディッシュ・ダンス」。「ニーハオ」と「シェーシェー」意外は全部英語でMCをやった。石は飛んで来ず大喝采のうちに無事終了。アンコールは「ドラム・ブギ」。堀越がセットした客席後方からの記録ビデオには総立ちの観客が映っていたという。
 公演後連れて行かれたディスコ・バーのような所では、へそ出しタトゥーのフィリピン娘三人組と機材操作のお兄さんがステージにいて歌いまくっていたが、こちらが入っていって用意された席につくとすぐに「ヤマシタさん!」と叫んで紹介する。バーボンソーダを飲んでいると歌の合間に「上海はどうですか」などとマイクを向けてくる。セットの最後に「この曲をヤマシタさんの為に歌います」といって歌った。終了後、席を立つと、オーナーが出てきてフロアーで記念写真を撮った。見送りに立っていた歌手娘に「さっきの曲は何だっけ」と聞くと「スムース・オペレイター」だと教えてくれた。たしかシャーデーの曲ですよね。
 別の場所でようやく皆で食事。昔、東欧でのジャズフェスが不満分子のあぶり出しに使われたという体験をディクソン氏に話し、今日のはいったい何だったのか聞く。この国では様々なことが入り乱れている状況がおぼろげに分かった。その中に、大友良英やジョン・ゾーンやビル・ラズウェルが来たり、アジア・ツアーが出来たりするコネクションも確かにあるのだ。帰国してすぐに反日大デモ勃発。多層国家なんですよあそこは。



「CDジャーナル」2005年6月号掲載
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