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muji . 2005.05 .
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イラストレーション:火取ユーゴ
  山下洋輔の"文字化け日記"
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  激月辛日。米国コネティカットのウェズリアン大学でコンサート。フェローンがこの大学でジャズ・ドラムを教えている。前日に着いて夕食に入ったのは、世界中のビールの銘柄をほとんど揃えた居酒屋レストラン。ホットソースも自慢で、今まで、「ジャマイカン・ヘル・ファイヤー」「エンドロフィン・ラッシュ」などというのに出会っている。この間は「サドンデス」というすごい名前のものをセシルがくれた。どれも一滴で悶絶死する。今回も食事の時に頼むとウエイトレスが三本持ってきたが、夫々、普通、強、最強とちゃんとランクがついていた。

誕月生日。ここ十年くらいは、誕生日は同じ日生まれの早坂紗知(as)の主催する226コンサートで過ごしていたが、今年はウェズリアン大学でのコンサートになった。アンコールのあと、セシルがマイクで「今日はこの男の誕生日です」と言ってくれる。とたんに場内大拍手で「ハッピー・バースデイ」の大合唱って、ならないならない。公演後、ジョンストン教授の家に招かれる。同席のフォレスター教授は俳句の探究者で伊賀上野の英語俳句コンテストで優勝した人。上西郁美さんはタフツ大学の美術史教授。マイク・モラスキー氏はミネソタ大学でアジア言語・文学を教える準教授。皆さん日本語が達者で、米国で山頭火の話で盛り上がるということになった。驚いたのはマイクで、以前日本に住んでいて日本女性と結婚したが、その結婚式をなんと西荻の「アケタの店」でしたという。このディープさは日本人も含めて誰も敵わない。ジャズ・ピアノも弾くのでほとんどの日本人ミュージシャンと交流があり、こちらともすれ違っていたらしい。アケタ一派の方々、マイクは健在です。近々日本語で書いたジャズについての本が出版されるそうだ。乞うご期待。

 食事の後、本物の暖炉が燃えている中、バースデイ・ケーキが出てきた。ローソクは一本。外国でこんなことをされたのは初めてだ。いや、こんな風に誕生日を過ごすのは子供の時以来かもしれない。「外国で昔をとりもどす」これ、山頭火スタイルの俳句のつもり。


襲月名日。林家こぶ平さんが正蔵を襲名するその披露宴が帝国ホテルであるので、余興にビッグバンドと共に出演してくれとの依頼がお姉さんの泰葉さんからあったのは、半年前のこと。泰葉さんも歌手だが、こぶ平さんは超のつくジャズ・マニアで自分でもアルト・サックスを吹く。その余興のことは本人には絶対に秘密にしてくれとの条件だった。サプライズ・プレゼントなのだ。曲目も既にアイディアがあって、ガーシュインの「They All Laughed」 ではじまり、寺井尚子(vn)入りで「Spain」と林家三平の「好きです、ヨシコさん」。最後に「Take The A Train」というもの。早速、コンクール優勝で意気あがる国立音大ニュータイド・ジャズオーケストラと編曲の浜博志さんに話をつける。ただし「ヨシコさん」の編曲は前田憲男さんに依頼したとのこと。どういう経緯で本人の耳に入るか分からないので、バンドのメンバーにも日時以外はっきりしたことは言えない。招待状も来たが「欠席」と書いて送り返した。本番当日は、朝早くリハをやりメンバーは控室に収容される。他の控室には「石原軍団様」などと書いてあるがこちらには何の表示もない。使っていない誰もいない部屋に潜んでいなければならない。披露宴が終わる頃、ホテルの厨房を通ってぞろぞろと移動し、金屏風の後ろに作ってあるステージに板付く。やがて金屏風がさっと片づけられ、お約束のドラムロールでバンドが登場という寸法だ。数日前に真相を知ったメンバーのなかには「叶姉妹を見られるかな」などと興奮するものもいたが、それは叶わなかった(あ、ダジャレになった)。しかしステージからはどこを見てもテレビで知った顔ばかり。こぶ平さんは喜んでくれたようで「あなたの弟でよかった」という言葉があったと、後に泰葉さんから聞いた。よかったよかった。しかし、こんなプレゼントをするとは本当にすごい家族だなあ。

三月鷹日。三鷹の芸術文化センター「風のホール」で何年も続いている、茂木大輔が特別編成のオーケストラを率いて指揮と演奏とレクチャーをやるシリーズに招かれた。この日は「自作自演」がテーマで、コンマスの佐利恭子の弾くモーツアルトのバイオリン協奏曲第二番(初演はモーツアルトが自分で弾いた)、平野公崇(sax)作曲演奏のサキソフォン協奏曲「七つの絵」、竹島悟史(perc)作曲演奏のマリンバ協奏曲「高嶺颪」、茂木大輔作曲指揮の「管弦楽のためのファンファーラ」、山下洋輔作曲演奏の「ピアノ協奏曲第2番「ラプソディ・イン・F」、ガーシュイン作曲初演の「ラプソディ・イン・ブルー」というプログラム。最後の二つを弾いたが、一晩にコンチェルトを二曲弾くっていうのは普通はアリエナイ。実はへたばった時の用心のために、控室では、持ち込んだ激辛物体を密かになめていたのでありました。



「CDジャーナル」2005年5月号掲載
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