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muji . 2004.07 .
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. 山下洋輔の"文字化け日記"
イラストレーション:火取ユーゴ
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山月賊日。山口県周東町のパストラルホールは音響抜群という評判だが、ここで宮本文昭さんとジョイントコンサート。前半はバッハ2曲の名人芸を堪能。すごく上手い伴奏の山洞智さんがおれのCD『Don't Mean a Thing』を持参していたのにはびっくり。いつどこで誰に聴かれ見られているか分からない。後半はピアノソロと宮本ジャズマン改造計画プログラム。「エコー・オブ・グレイ」「J. G. バード」「クルディッシュ・ダンス」「スパイダー」など全部オリジナルをやってもらった。「スパイダー」でのフリー・ソロは圧巻で、やはり楽器をちゃんと演奏できるのはいいことだと、当たり前のことを再発見。終演後、宿舎に帰る途中、道路脇の山腹にある「山賊」という飲み食い場所に寄る。松明燃えさかる砦の中、方々の広間、土間、蔵で大宴会をやっている。麿赤児の大駱駝艦が今にも現れそうな内部装飾の中、巨大な鶏のモモ焼きや、一抱えもあるオニギリなどに驚愕しつつ饗宴に参加。翌朝、宿舎のそばの錦帯橋を散歩し、広く平らな河原におり、靴と靴下を脱いで川に入ってみたが、非常に冷くてすぐに飛び出た。

東月大日。今年から週一回「ジャズ概論」の講義をしている国立音大の授業を終えて、そのまま東大へ向かうという変な日。本紙前号にも紹介されていたが、東大では菊地成孔が非常勤講師で「ジャズの歴史」を教えている。その関係もあって、東大構内で一週間のイベントがあり、最後の2日間が菊地&山下デュオということになっている。菊地アイディアで、スタンダードのスロー曲とフリージャズを交互にやるプログラム。大学の教室を「占拠」して思う存分勝手をやるという70年代前半の雰囲気が甦る。菊地成孔の存在なくしては出現しないタイムスリップ空間だった。

俳月句日。伊賀上野で「ジャズ俳句」と銘打つコンサート。松尾芭蕉の出身地である上野市の公園の中に俳聖殿というものが建っているが、そこにピアノを持ち上げてやろうというもの。実は十九年前に同じところでやり、当時開発していた「5・7・5 俳句」というテーマでの演奏を完成させた、といういきさつを前日の記者会見でも言う。半年にわたる大イベント「芭蕉生誕360年記念事業」の前夜祭なのだ。ソロ、ニューヨーク・トリオ、林英哲とのデュオ、渡辺香津美たちとのセッションなど何度も来ているこの場所にはジャズ者一派がいて「ヨースケ」という赤ちゃんがいたが、彼は今大学受験勉強中だ。以前ここに、岸田今日子、吉行和子、富士眞奈美のお三方が詠んだ句でピアノを弾いたことを書いたが、今回はそれがヒントになって一晩芭蕉と遊べというわけだ。前夜は一派に誘われて、伊賀牛を刺し身(これはパス)、網焼き、すき焼き、といただき、贅沢なことにもう牛を見るのもいやになった。翌日リハ前には、ちゃんと予習もしろと、芭蕉の生家、蓑虫庵などを見学。芭蕉には忍者説から女性回避説など色々ある。句の解釈も例の「古池や..」も英訳では蛙が複数になっているので、あの音も「バシャベシャボチャベチョ」だったという解釈もある。おれの知る芭蕉研究本はW・C・フラナガンの「ちはやふる奥の細道」(新潮文庫・小林信彦訳)だが、これは最高なので、是非一読をお奨めする。

実月演日。セカンドセットを俳句特集にした。芭蕉のだけでなく、あらかじめお客さんに詠んでもらった句ともからむ。「俳聖が 新緑によむ ジャズの音」「みどり夜の 風も少しく 変拍子」などなど素晴らしいものが五十首以上集まった。中に「この時間 東の津では 綾戸智絵」という変なのがあってこれは受けた。「よくぞアヤドを振って、こちらに来てくれました」とほとんどラジオ番組のお便り紹介コーナーと化す。芭蕉からは「荒海や 佐渡によこたふ 天の川」を「砂山」にあてて弾き、折角見学した蓑虫庵にちなんで「蓑虫の 音を聞きに来よ 草の庵」もやった。これは即興で始めたが、実際に虫や蛙の声がしているので、ピアニッシモのまま、しばしそれだけを聞くという時間が過ぎていった。つまり、ジョン・ケージ手法の再発見で、これは収穫だった。アンコールでは、「月ぞしるべ こなたへ入らせ 旅の宿」をやる。これはしばらく前に、嵐山光三郎さんが週刊誌の連載エッセイでこのイベントにふれてこの句を推奨し、伊賀上野に「月光ホテル」を作って宣伝すれば、大繁盛間違いなしと書いたのにちなんでいる。ちょっと「ムーンライト・セレナーデ」が入っちゃったってのは、無理からぬところでしょうか。このイベント、後味良く、発見もさまざまあり「新境地」の声もあった。「『奥の細道』に関連する場所全部でこれをやろう」という雄叫びも上がる。面白そうだけど、こりゃあ大ごとだ。途中で「旅に病んで 夢は枯野を かけ迴る」のまま助からないかもしれない。こうして伊賀上野に来るたびに不思議な収穫があっていい気持ちで帰るってのは... やはり忍術をかけられているにちがいないと今気づいた。


「CDジャーナル」2004年7月号掲載
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