. . . . .
muji . 2004.04 .
. . .   .
. 山下洋輔の"文字化け日記"
イラストレーション:火取ユーゴ
.
 

新月春日。新春恒例の東京オペラシティ・コンサートホールでの公演、今年は筒井康隆作演出「フリン伝習録」で、以下のような超豪華メンバーが集まってくれた。

コンサートミストレスの佐イ分利恭子以下、礒絵里子(vn)、谷口亜美(vn)、玉置夏織(vn)、神谷未穂(vn)、江口有香(vn)、西田史朗(vn)、成田 寛(va)、谷口真弓(va)、藤村俊介(vc)、大友 肇(vc)、齋藤 順(cb)、神田寛明(fl)、最上峰行(ob)、加藤明久(cl)、井上俊次(fg)、久永重明(hr)、小川正毅(hr)、佛坂咲千生(tp)、平野公崇(sax)、植松 透(perc)、竹島悟史(perc)、宮地良幸(ds)、篠崎史子(harp)。歌手陣は、森麻季(sop)、佐々木弐奈(sop)、大野徹也(ten)、小川裕二(bar)。指揮・茂木大輔、朗読・筒井康隆、編曲・栗山和樹、音楽・ピアノ・山下洋輔。2日間の興行だ。幕あいを利用して、新曲「ラプソディ・イン・F」を発表した。最初の打ち合わせの為に、真冬のN響練習場に茂木さんを訊ねて以来11カ月、最初の歌リハから計6回のリハーサルを重ねての本番だった。最高の充実感。筒井さんのネットファンクラブの面々が全国から集合して、二日目のロビー打ち上げでは懐かしいオフの顔触れがそろった。

旅月行日。恒例のドライブ旅行に出発。暗いうちに出発してただただ走る。冬だから東名を西に進む。走っているうちに、出雲まで行って本場のワリゴそばを食べたいという目的が出てきた。夕暮れどき、京都を過ぎて大阪に入ろうかという所で、パトカーが出没する。走行車線に入っておとなしくしていると前方に消え去った。やれやれと追い越し車線に出て気持ち良く走っていると、後ろからガーガーという音が接近、バックミラーには点灯する赤色灯が大写し。げ、何だこれは。あわてて走行車線にはいると右横に並びかけてきて「はい、そこのベンツ、パトカーについてきて下さい。左に寄ります」とのご命令だ。回りの車はこれ以上ないという遠慮ぶりで、どんどん道をあけてくれる。左の路肩に停車し降りると、パトカーに連れ込まれた。「ここは80キロ制限。110キロ出していたから、30キロオーバーで、2万5千円です。免停にはなりません」とてきぱきしたものだ。そういえば回りの車は皆スピードを落としていた。知っていたんだよな。こっちは追越車線で知らぬ間にパトカーを追い抜いていたわけだ。「追越車線に入ったらすぐに戻らなければ駄目です。ダンナさんは、ずっと前の一団に追いつこうと飛ばして、いつまでも戻らなかったから」と礼儀正しい。一人だけ目立って見張られていたのか。馬鹿だなあ。バックミラー見ればよかったなあ。不注意だなあ。抗弁する気も起きずおとなしく振込用紙を受け取った。これが理不尽な逮捕なら「こら、お前らオマワリがいられるのもワシの先祖のおかげだぞ。西郷南洲先生と川路大警視に恥ずかしくないのか!」と叱ってやれるのだが、これじゃあ言っても恥をかくだけだ。それにしても110キロで捕まるなんて。140キロ以上出さなければめったに捕まらないと言ったのは誰だ! 免許、ゴールドだったのに... その日は宝塚温泉に泊まり、翌日出雲方面への山越えは雪でチェーンがないと駄目なので、急遽、行き先を四国に変えた。淡路島を通って徳島市に入り、郵便局で罰金を払い、明日の東京行きフェリーを予約し、港を下見し、それから少し山沿いに入って温泉宿に泊まった。四国八十八箇所の九番と十番の札所が近所にある巡礼の定宿という感じの宿だった。

故月郷日。テレビの「課外授業・ようこそ先輩」のロケで、福岡県の元筑豊炭田、田川市後藤寺町に行く。ここの後藤寺小学校を50年前に卒業している。福岡から陸路飯塚を通り、カラス峠を越えると眼下に田川市が広がる。当時はボタ山だらけだったが今はどこにもない。五木寛之さんの小説「青春の門」で有名になった三連峰の香春岳の一の岳も、もう山ではなく台形になっている。50年の間に人間が山を食ってしまった証拠だ。後藤寺小学校は、しばらく前に百周年をやったという古い小学校で、その53回目の卒業生だ。記念の石碑がまだ残っている。

五年生40人以上と二日間つきあって、フリーミュージック体験をしてもらう。昼食は教室で一緒に給食を食べた。同じテーブルの子供達が色々なことを聞く。「外国に行ったことある?」「あるよ」「どこ?」「中国とロシアと南極と北極以外は大体ね」「英語しゃべれる?」「少しね」「しゃべってみて」「What shall I say in English?」「わー、すごい」「先生、有名人、だれか知っている?」「誰が好きなの」「ナカイ知ってる?」「知らない」「ブイシックスは?」「知らない」「ふーん」引きそうになったので、「そうそう、あややという人と一緒にテレビに出たよ」これは知っている子と知らない子が半々で「ほら、あの人だよ」「え、だれだれ」としばし大騒ぎ。ウソではなく、去年のクリスマスの特別番組で、ジャズテイストの歌をやりたいと話が来た。水谷浩章(b)、高橋信之介(ds)のトリオでユーミンの「恋人がサンタクロース」を伴奏した。隠れあややファンだった水谷君が格好いいコード連続の編曲をしてくれた。リハのときに「変な音だけど、これが格好いいんだからね」と念を押さざるを得ない。放映されると若年層にはウケましたね。「松浦亜弥さんと一緒にできるなんて、すごいですね」という賛嘆のメールが小学生のメル友から来たりした。教室でさらに「タモリとは友達だよ」と言ってみると、これは素直に喜ばれた。やはりタモリはすごいなあ。やがて「今日はこの子の誕生日だよ」「じゃあお祝いしよう」と「ハッピー・バースデイ」を合唱。「あのオルガンで弾いてみて」というので、オルガンで伴奏してもう一回歌う。そのまま回りに集まって「何か弾いて」。共通の音楽が無いので困っていると「知らないのでもいいよ」と励ましてくれる。うーんじゃあ、あれをやろうかな、と決めて弾き出そうとしたときには、もう子供たちは全員あっちに走って行って別のことで騒いでいる。すぐに反応しないとその場で見捨てられるんですね、子供の掟は。


「CDジャーナル」2004年4月号掲載
.   .
. . . . .